昨年3月11日、東日本を中心とした未曾有の大震災が発生し、数多くの尊い命が犠牲となりました。また甚大な被害で沿岸部一帯が【浜、港、街、山】全て破壊されました。
まさに東日本が壊れ、変わり果ててしまいました。そして震災から1年と3ヶ月経過した6月13日現在で死者15,861名 行方不明者2,939名となっており、身内の方々、親戚を含め関係する方々は、悲しく辛い涙の枯れない日々を送っている状況にあります。被災地での復興の兆しは日を追って進捗していると聞きますが、地域格差もあり、思うようにはかどってはいないようです。今も多くの人々は、かっての生活を取り戻せない有様でございます。
信養寺では、昨年の6月にいち早く、この被災地の復興に何らかの寄与をしたく計画しておりまして、私たち檀信徒にご案内がございました。
それは【観光と日蓮宗寺院巡り】を6月15日~17日までの3日間開催し復興の一助にしようとの計画でございます。およそ1年間で費用を積み立てし、檀信徒の方々の参加を呼び掛け、ご賛同を得てこの度実施されました。旅のひとときをご紹介しましょう。
参加者 総員 22名 (大木ご夫妻のお子様2名含む)
添乗員 大根 様 (おおね さま)
第1日目 6月15日(金)
東京駅八重洲中央口集合午前8時で全員早めにバッチリ揃いました。早速大根さんのご案内で東北新幹線やまびこ53号に乗車、新花巻駅へと出発進行です。当日は雨の心配もなく晴れ渡り、やがてビルの都会から景色も里山風景に変わり益々、旅気分です。田植えが終わって約1ヶ月余経ち、苗も成長し、生き生きとそよ風に揺られ、緑豊かな田園風景が続きます。
11時41分新花巻駅に到着、手配の観光バスに乗り換えです。
優しそうな相沢ドライバ-、明るい笑顔の菅原ガイドさんが担当、大歓迎でのお出迎えです。早速、昼食会場に案内をいただきました。店の前では花巻農学校OBの女店員さんが鹿踊りの出迎えでびっくりです。太鼓をたたいて、足を跳ね上げ、リズムカルに踊る姿についはまりそうになりました。
昼食後、一息入れて市内の高台にあります、「身照寺」に参拝です。
身照寺には詩人で童話作家の【宮沢賢治】の墓があり、菩提寺として広く知られております。境内には身延山から送られた6本の紅しだれ桜が大きな枝を垂らし堂々と初夏の風をうけ、ゆらりゆらりとその風格を感じさせます。
身照寺住職は牛崎海秀ご上人で、信養寺小林ご上人とは、中山法華経寺におきましての「寒百日間祈祷修法習得」の為の荒行を再行・参行と共に入行され、お互いに励まし、支えあった間柄とのことで、久しくお話をされておりました。
牛崎ご上人の講話では身照寺の歴史を詳しく語られました。そして宗祖日蓮大聖人御尊像を御開帳にて参拝させていただきました。600年を超える歴史を飾る身照寺で日々コツコツと活動を重ね続けられており、時にはユ-モアを交え地域の人々や、暮らしぶりを紹介くださいました。
牛崎ご上人は宮沢賢治のことを「賢治さん」とお呼びし親しく話をされます。その話し方で一部を紹介しますと、賢治さんが生れた明治29年ごろは戦争もあり、地震、天災や凶作が続き貧困と不幸に悲しむ人が多かったそうです。一方、宮沢家は経済的にも恵まれ、財力のある家庭に育ち、勉学に励んだ暮らしだったそうです。幼少のころから父に大事に育てられ、あらゆる事に興味を持ってやがてそれが多彩な活動の肥やしとなったことと思われます。
18歳の時【妙法蓮華経】に出会い、深い感動を受けたそうです。その事がその後の活動として法華経の教えを基盤にして作り上げられておるそうです。
天性の鋭敏な感受性と表象力で創作しながら、当時の貧しい農民の生活を豊かにする為に力を尽くされたそうです。まさに雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ‥‥‥‥‥のごとく、‥‥ 詩を思い出しました。
賢治さんは教育者でもあり、科学者でもありました。貧しい農民の為に稲作指導に尽くし、農村に科学と芸術を生かした新興文化を目指したのですが、残念ながら病に倒れ昭和8年9月21日、38歳にて生涯を閉じました。
まさにその生涯は菩薩行そのものであったそうです。
身照寺の牛崎ご上人は、今も自ら、釜石や沿岸部の避難住宅に出向き、お世話をしているそうです。不便な生活に耐えながらも、被災者の皆さんは自分の事は計算に入れず、他の人に手を差しのべる慈悲の思いを強く持ち暮らしているとの事。自分よりもっと困っている人への思いやりが優先する心であり、当時の賢治さんと重なる心、思いであり、まさに【絆】ではなかろうかと強調されました。私もまったくその通りと胸が熱く感じました。
帰路、門前に牛崎ご上人ご夫妻と、お子さん、お母上様の4名で私たちのバスが見えなくなるまで手を振って見送ってくれました。
被災者のお話などひしひしと東北の温かい心に触れることができ感激いたしました。
その後バスにて宮沢賢治記念館を見学いたしました。賢治さんの事を更に詳しく学ぶ事が出来ました。賢治さんは岩手県をイーハトーブと言って銀河の空間、4次元宇宙を目ざしました。日本の宮沢賢治ですが、ご上人の言葉通り世界の宮沢賢治を本当に実感いたしました。
時は午後4時に近い時間となりました。不慣れな旅と緊張で凝り固まった体をゆっくりと温泉でほぐしたい気分です。一路今晩の宿泊場所である【大沢温泉 山水閣】へとバスは向かいました。