信養寺ギャラリー

フランス刺繍 「経箱掛」神田弘子 作

フランス刺繍 「経箱掛」神田弘子 作

「安土城」 沢里 正 作

「安土城」 沢里 正 作

沢里 正 作

沢里 正 作

小泉温華(温代) 「子供の作品」

小泉温華(温代) 「子供の作品」

木場九華(清子)姉に師事

木場九華(清子) 「花の作品」

木場九華(清子) 「花の作品」

昭和27年 浅草の押絵羽子板師、永井周山先生に師事

吉田順光先生に押絵の顔や小物の作り方を師事

昭和30年 上野手工芸展に入選 (作品 石楠花)

昭和30年 日本画家、西沢笛敏画伯が発起人で錦綵会(きんさいかい)設立

(吉田順光先生・橋本・石本・大谷・名取・小沢・木場)

昭和35年~昭和49年(13回)日本橋三越本店にて錦綵会新押絵展を開催

(昭和35年~昭和39年西沢笛敏理事 昭和41年~昭和49年吉田順光理事)

押絵羽子板の作り方で、人物・花・鳥 等を額に入れる創作作品が錦綵会新

三笠蓬莱作

「フェニックス」誕生

信養寺に飾られている「鳳凰」の作者の三笠蓬莱氏が新作を発表され、ただ今、信養寺に展示されています。題名は、「フェニックス」(不死鳥)。 先の「鳳凰」とは異なり、立体化された作品となっています。 派手さを抑え、静かな落ち着いた中にも厳かな力強さが感じられる作品です。 三笠氏によると製作には約10ケ月超を要しているとの事で、これを見た人が、幸せな気持ちになれたら良いとの思いを込め作られたそうです。特に羽根の部分は、お釈迦様の日輪をイメージして作ったそうで、そのせいでしょうか、作品が、光輝いていて、幸せの暖かさが伝わって来る様です。折しもこの度の東日本大震災という大きな震災で被災された方々の一日も早い復興を祈って、この「フェニックス」が力を与えてくれるのではないでしょうか。 小林正子

フェニックス

フェニックス

フェニックス

フェニックス

三笠蓬莱先生が日蓮大聖人のお会式に併せ、作成いただきました「しだれ桜」。

この「しだれ桜」は毎年本堂に十月中に飾られています。

しだれ桜

しだれ桜

しだれ桜

しだれ桜

白銀の月

白銀の月

私の心の中には、月光に照らされる白薔薇のイメージが永くあり、

それは未だ描きあがってはいませんでした。しかし今回の作品には、

それが少し顔を出したように思えます。

主題は、白銀の月-水面に映る光が揺らいではじける、開花する薔薇の華、気付けば、

天には全てを照らす白銀の月が、静かに見守っています。

白銀の月

白銀の月

Maria Leia 2011.10.16

岩彩画 「日蓮聖人 辻説法」 沢里  正  作

日頃より丹精を込めて作成なさっておりましたフランス刺繍を信養寺落慶に併せご奉納下さいました。

「コロラドの丘」は大病をしてフランス刺繍を断念せねばならないと思っておりましたが、神仏のお陰、お上人始め皆様のお陰で病も癒え、再び刺繍に立ち向かう事が叶い、完成されご奉納下さいました。

落慶の後「信養寺の奥様に蓮の華のお話を伺い、勇気をいただき「蓮の華」にチャレンジいたしました」と申され、一年かけて完成された作品をご持参下さいました。

『不染世間法 如蓮華在水』神田様は花を通して諸行無常を感じ、表と裏、喜びと悲しみ、許す心、苦しみ、執着の心、憤る心等の多くの事を教えて頂きました。如蓮華在水の心で生き続けようと心に深く感じられた、とお話下さいました。

沈める寺 ’08

この度、浄行山信養寺に奉納のF60号の作品には、前作品があります。それは2008年2月に制作された「沈める寺 ’08」F10号の小品です。完成までに長い時間を要したこの作品は、抽象絵画の奥深さ、難しさに気付かされた…格別なものでした。ドビュッシーの素晴らしい音世界を振り出しに、展開され1作目では、寺院の形は変化して蓮の華のシルエットとなり、この2作目では、蓮のつぼみが、花開く不思議にして精妙なる瞬間を描く事になりました。

この奉納にあたり、当山住職、小林栄量上人をはじめ、ご賛同ご協力いただきました多くの方々に、深く感謝しています。


沢里様は、住職の義兄で信養寺の再建工事を請け負いました大栄工務店の役員であり、再建工事一切を主任として担当くださいました。

以前も信養寺に日蓮上人を始め、普賢菩薩などを作成寄贈されておりましたが、住職の「位牌堂天井に雲海の中に天女を舞わしてほしい」とのたっての希望により作成していただきました。

三笠先生は「ペーパークィリング」(紙を使って色々な作品を作る)と言う物の講師として活躍されておりました。

住職が一昨年中山法華経寺の千部会に出仕の折、祖師堂で勤行中に、「三笠さんに鳳凰と蓮華の花を作って貰い、再建される信養寺に奉納して貰うよう」とのご霊示をいただき作成してもらうことになりました。

三笠先生曰く、「以前「火の鳥」も「蓮」も作ってみたいと思った事がありましたが、何れも難しく断念しておりました。「とても出来ません!」とお断りしましたが、」『これは三笠さんに神から与えられた言葉であり、絶対に出来ますよ。この作品が出来たら、世界に出られるくらいになりますよ』とのお言葉に、お受けする事になりました。お引き受けしたものの鳳凰の顔から作り始めましたが鳳凰自身が気に入らないと、怒った顔をし、納得するとにこやかな顔に見えたりして主張をしているのです。これは、生半可な気持ちで製作に当たってはだめで余程気を引き締めてやらなければとても出来上がらないと、剃髪し取りかかりました。作っては直し作っては直し、寝てからも気になって夜中に起き上がって作った事も多々あり、何度も作り直し七ヶ月をかけて出来上げる事が出来ました。これは自分だけでは到底出来うる物ではなく、神仏のお陰、ご先祖のお陰、私の背中を押し色々アドバイスをして下さったお上人始め皆様に助けられて初めて作り上げることが出来た物と心より感謝しております。お上人が始めに言っておられたとおり一皮剥けた気がしました。その功あってか新しいクリエイティヴの世界「シンフォニックペーパーアート」という名と、「三笠蓬莱」という名も戴くことが出来ました。信養寺の落慶という素晴らしい時期にお寺に飾らせていただける名誉と嬉しさはとても言葉には言い尽くすことが出来ません。」

後日、世界文藝社から「日本藝術の創蹟2010」に鳳凰が掲載され、宮内庁・国会図書館を始め、ルーブル美術館、バチカン等世界200カ国にこの本が届けられ、まさしく三笠ブランドが世界に羽ばたいていきました。