信徒寄稿

平成三十年十月十五日(日曜日)信養寺の「お会式(えしき)」が厳修されました。毎年「お会式」法要に先立ち出席される皆様に、一服の薄茶とお菓子を召し上がって頂いております。午前十一時より信養寺住職小林栄量上人ご導師のもと、矢田堀上人、高野上人式衆にて日蓮大聖人報恩法要が厳かに執り行われました。

 

 

法要後、参加者全員で昼食をいただき午後1時からは例年どおり、大阪「雲雷寺」住職の伊丹瑞栄上人の法話を聴聞しました。伊丹上人は小林上人と大学以来の親友で、平成二十四年のお会式から法話をしていただき、今年で七回目となりました。今年の法話では、末法の世は法華経でしか救えないことや、日蓮大聖人が自身のことを上行菩薩であると確信し法華経の布教に努められたこと、またお葬式の意義などをお話していただきました。

お釈迦さまは、自身が大昔から教化(育ててきた)上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩、など地涌の菩薩達を遣わしてご自身の教えが無くなってしまう末法の世を救うために、法華経を説かれました。この法華経には、お釈迦さまが亡くなられた後に法華経を弘める事は大難であり、弘める者は多くの迫害を受ける事が克明に説かれています。また、それ以前の経は方便であり末法の世においては、方便は捨てるべき「正直捨方便」(法華経方便品第二)であるとも説かれています。これを実行されたのが日蓮大聖人です。

日蓮大聖人は、十二歳の時に清澄寺に上がり十六歳で出家得度して名を「蓮(れん)長(ちょう)」と改め、二十一歳の時に比叡山へ真実の法を求めて登られました。十年あまり畿内(高野山、京都、奈良等)各地で勉強され、比叡山を下山する時には、自分は上行菩薩であることを強く確信され、多くの苦難(法難)が待ち受けていることも覚悟し、命を懸けて「法華経」の布教に努められました。日蓮大聖人は、何度も命を落とすような法難に遭遇しても奇跡的にこれを逃れ、ひたすら法華経の布教に努められました。

お釈迦さまの教えでは宇宙が無限であるように、東西南北、上方下方に様々な世界があり、阿弥陀如来さまが納めている極楽浄土や薬師如来さまが納めている浄瑠璃浄土など、無限の世界が広がっていると考えられています。人は生を受けてからその肉体は死に至りますが、魂は輪廻転生を繰り返し、始まりも終わりもない永遠の世界が続いて行く。それが私たちの生きている娑婆世界です。争い事の絶えない娑婆世界を納めるため、お釈迦さまが出現され、その教えを実行された日蓮大聖人なのです。そのおかげで今、私たちは「法華経」「お題目」の御利益をいただき平和な日本に生活するこができるのだと思います。日蓮大聖人のご恩に感謝し、これに報いるためさらに信仰を深めなければならないと思います。

伊丹上人は、檀家の方から葬儀などの相談を受けることが多いそうです。現代の風潮として、死後に家族に負担を掛けないようにと、葬儀・墓地は不要と言われる方もいるそうです。そのような方に対して、今生では平和な国に生を受けることができたが、来世もまた平和な国に生まれてくるとは限らない。そのため、通夜・葬儀では遺族が亡くなられた方の霊魂が、来世(後生)も平和な世界(善処)へと生まれ変われるようにと祈る場である。と分かり易くお話されているとのことでした。幸いにして私たちは、平和な国に生を受け法華経と出会うことができました。自分の子孫に法華経の教えを正しく伝えていくことが大切な事と感じました。

伊丹上人は、ご自身の失敗談などの話題を織り交ぜながら、ユーモアを交えて分かり易くお話をしていただき、アッという間に一時間が経過しました。来年も更にグレードアップした伊丹上人の法話を楽しみにしております。ありがとうございました。

*平成三十三年は「日蓮聖人御生誕八百年」を迎えます。これにあわせ信養寺では、報恩法要、報恩団参を計画しております。団参では日蓮聖人ゆかりの誕生寺、清澄寺にお参りする予定です。ぜひ、ご参加ください。(広報中村)

七面山参拝が、平成三十年八月二十五日(土)、二十六日(日)の両日にわたり行われました。信養寺住職小林上人と法華経寺の杉浦上人以下、男性十七名女性十名総勢二十七名の方が参加されました。信養寺の七面山参拝修行は、「自身の六根清浄」と「七面大明神様へのご祈願」さらに「滝行」と実に中身の濃い二日間です。このご修行では、毎年雨具が欠かせないものとなっていましたが、今年は天候に恵まれ山頂では雄大な富士山を二日間に亘って間近に見ることができました。

登山の道中は団扇太鼓をたたき、お題目「南無妙法蓮華経」を唱えながら、全員の気持ちを一つ(異体同心)にして登って行きます。大木に囲まれた山道を進むと三十丁あたりで、参加者の先祖供養と背後に頼る霊魂に追善供養が行われます。四十丁には無縁堂があり、ここでもお供物をお供えし無縁仏のご供養をします。休憩時に小林上人が説法をして下さいます。今年も色々な説法をしていただきました。「法華経」やお題目「南無妙法連華経」の持つ意味やありがたさ、「自力本願」「他力本願」「絶対他力」の本当の意味、「業(カルマ)」の消滅とはどういうことかなど、初めて参加される方にも分かりやすく教えていただきました。信養寺参拝団の一員しか聞くことのできない貴重な体験です。永遠に続くかと思われた山道が四十五丁を過ぎると辺りが開け「和光関」が現れます。鐘つき堂で初参加の五名が打鐘を行い、宿坊の「奥之院」へ向かいます。例年ですと懐中電灯が必要な時刻なのですが、今年は日の入り前に到着でき「二の池」あたりで、夕陽に染まる「赤富士」を拝むことができ、息をのむような雄大な光景に圧倒されしばらく見とれてしまいました。七面山はかなりの急こう配を登下山するため「苦行」と言われています。特に登りはキツイの一言ですが、体力自慢の人でも体が重くなり時には動けなくなってしまうこともあります。七面山は「霊山」なので、亡くなられた方などゆかりの深い親族の方が、その人を頼って来られているからです。勿論、目には見えませんが、頼って来られた方を背負って登山しているから大変です。私は今回で十六回目の登山となりますが、これまでに経験したことのない辛い登山でした。体が重い、頭が痛い、足が上がらない、食べ物も喉を通らない状態で、自分ではわかりませんが顔色も真っ青だったそうです。小林上人のご祈祷のおかげで、かろうじて山頂にたどり着くことができました。宿坊の「奥之院」では、七面大明神様の御開帳をしていただきました。七面大明神様は「法華経の護法神として法華経を信仰する人々を守護し、心の安らぎと満足を与え続けます」と日蓮大聖人にお誓いした法華経の守護神です。

御開帳とは、神仏のお姿を拝することだけではなく、そのお姿を拝見することで自然と自らの心も開かれることを意味すると「奥之院」のご住職から伺いました。自分の心が開かれているなどと考えたこともなかったので大変ありがたいお話を聞くことができました。その後、二の池のお社へ「夜の行」へと向かいます。お社の前で一人ひとり祈願成就を一心に言上(心読)し、小林上人が背中に団扇太鼓を当てご祈祷をして下さいます。各自の祈願がこの地に残るよう、祈願文を燃やしその灰を二の池へと流し「夜の行」も終了となります。このご祈祷中にとても不思議なできごとがありました。石碑に灯した蝋燭の火に「かたつむり」が向かっていくという考えられないような事が起こりました。炎を前にしても臆せず前進し、触覚が燃えて、ずり落ちても再び火に向かって登って行くということを繰り返し行い最後は何事もなかったかのように、帰って行ったそうです。この話を聞いて難題と思えることでもあきらめずに進んでいけと言われているように感じさせられました。翌朝は午前四時に起床、一面真っ白な雲海に浮かぶ富士山と「ご来光」を見ることができ感動いたしました。六十回以上登山されている小林上人でも二日続けてのこのような富士山の光景は見たことがないそうです。
下山後、出発地点の日朗上 人の石碑前に全員が到着し、無事に登下山できたことへの御礼を言上し「滝行」へと向かいます。お上人にお清めの塩を掛けていただき、滝壺へ下りていきます。始めに小林上人が滝に入り読経をされながら滝に打たれます。小林上人が滝の壁を両手で掴み、読経される姿はまさに修行僧そのもの。尊敬の一言です。大雨の影響で例年以上の水量が両肩にのしかかって、呼吸もできない程です。声を出せるような状況ではないはずですが、自然と「南無妙法連華経」と大きな声で唱えています。小林上人が各自の背中に数珠をあてご祈祷してくださり、滝行も終了となります。滝行の後、下部ホテルに向かい昼食をいただきながら参加された方々から、今回の参拝修行についての感想を伺いました。この二日間の貴重な体験は、私たちのこれからの日々に必ず役立つものと思います。

また、登山団とは別に小林上人の奥様と二人のお姉様は、身延山久遠寺と御廟所、奥之院思親閣、日朝堂にて時ならぬ猛烈な暑さの中「七面山参拝修行」の安全祈願をして下さいました。大変な苦行のようでしたが、お陰様で二日間の「七面山参拝修行」を今年も無事終わることができました。

小林上人、杉浦上人、信養寺の皆様に感謝御礼申し上げます。今回、参加されました皆様大変お世話になりありがとうございました。来年も八月最終の土日に「七面山参拝修行」を行う予定です。多くの方々のご参加をお待ちしております。(広報・中村)

 

平成二十九年十月十五日(日)小雨降る中、信養寺に於て 日蓮大聖人第七三六遠忌報恩御会式が厳修されました。当日は二階客殿(多目的ホール)に於て、お抹茶のお茶席が設けられており、表千家講師中村宗和先生一家一門によりお薄とお菓子の御振舞いがありました。

日頃の気忙しさから解放され、心穏やかに癒され、身も心も豊かにさせて頂き法要に臨む事が出来ました。中村先生はじめ皆様ありがとうございました。

 

 

 

日蓮大聖人は幾度の法難にお遭いになり乍らも、私達衆生をお救い下さるため法華経をお弘めお残し下さいました。今年は大聖人の第七三六遠忌に当たります。

当山住職小林栄量上人御導師の下、矢田堀堯司上人並びに阿部全雄上人により、大聖人に報恩の慎を捧げるべく法要が厳修されました。

檀信徒の皆様も心一つに一心に感謝の気持ちを込めお題目をお唱え致しました。

法要中、大聖人に献茶の奉納もあり、又散華もあり、それはまるで色とりどりの華がお経文の文字となって皆様の頭上に舞って来た様な有難い感じが致しました。

法要が済むと、食事の用意がされており、普段なかなかゆっくりお話しする時間もないので、皆様和やかに話をされ乍ら楽しいひと時を過ごしておられました。

一時より本堂に於て 大阪雲雷寺住職 伊丹瑞栄上人による法話を頂きました。

伊丹上人は小林栄量上人とは、大学時代からの親友であり格式の高い立派なお寺のご住職であるにもかかわらず、とても親しみ易く、明るく、笑いを誘い乍ら、「報恩御会式とは、日蓮大聖人のご命日の法要であり、恩に報いるには恩を感じないと報いる事が出来ない」という内容を色々な事例を交え乍らわかり易くご法話下さいました。

不思議な事というのは、まわりに沢山あります。先ず私達が生きている事が不思議で、因縁によって生かされているという事、又夢でも色々な不思議な事をお知らせ頂いていると、実例として、伊丹上人の奥様が見られた夢の話をしてくださいました。

日蓮大聖人も幼少の頃、不思議な体験をされていらっしゃいます。幼少の頃のみならず生涯を通して神秘現象を体験していらっしゃいます。その一つとして大聖人が十二歳の時、清澄で得度をし、善日麿となりました。出家の動機は、お釈迦様お一人がお説きになった教えなのに、何故何人もの人が違った法を説き、八宗十宗もあるのだろうかという疑問を解く為であり、清澄寺に祀られていた智恵の神様と言われている虚空蔵菩薩に「日本第一の智者にして欲しい」と祈願しました。ある日、夢か幻か分からないが、もうろうとした中で高僧となって虚空蔵菩薩が智慧の宝珠を下さいました。ご自分の祈願が叶った瞬間でした。出家して十六歳で蓮長となり、鎌倉に行って勉強し、続いて比叡山に行き十六年間又勉強をし、三十二歳の時自分は上行菩薩の生まれ変わりだという確信と自覚を持ち、比叡山を下り、お題目を全世界に広める決意を持ち、大阪、伊勢を通り、房州小湊に帰って来て、立教開宗をしました。待ちわびていた人達に、仏になる道はお題目一つしかない、と説法した為に、念仏等を信じていた人達に、清澄から追放されてしまうが、お題目を弘めると必ず迫害にあう事は分かっていたが、上行菩薩の生まれ変わりならば法華経を弘める任務があると、幾多の迫害を受け乍らも動ずる事なく説き続けて下さいました。この法華経を弘めたら、こういうふうになりますと、法華経のお経本の第十三番目の勧持品に全て書いてあります。我々に変わって始めに法難を受けられ、一生迫害を受け乍らも私達衆生をお救い下さる為、法華経をお弘めお残し下さった有難い日蓮大聖人に心より報恩感謝をしたいと思います。と伊丹上人は法話を閉じられました。そして又来年の御会式にも来て下さりご法話下さる事をお約束してくださいました。

本当に分かり易くお話し頂きましてありがとうございました。

記録 小林正子

4月21日・22日の両日、身延山の結集大会に参加して参りました。小林御上人他七名の参加で往復共に新宿↔甲府間は特急移動でしたので大変楽な旅?参拝でした。
俱生霊神符を身に着け、お題目を唱える方は全て聖徒と呼ぶそうです。伺う前は、何をするのかしらと興味深々でしたが、身延山に到着し、すぐご廟参(日蓮大聖人様の御廟に詣でる)をさせて頂き、一団体づつ一対の花を渡された時に、これは厳かな行事だと思い知らされました。みれば北から南まで遠方よりみえています。身延にお参りしたいという一心の方々の集まりです。
石段を一歩づつ上がるその姿に、日蓮大聖人様へ近づける喜びがあふれておりました。夜の行事までの時間、翌日大本堂で献燈のお役を頂いた中村様の二人の娘さん、友香さん友美さんのリハーサルに立ち会い、大本堂の雰囲気をたっぷり味わいました。めったにない経験でした。夕食後、一日目の大行事、唱題修行です。山門前の石の上に座り、竹灯の千本の灯りを見ただけで、心が静まりますのに、太鼓の音と共に全国の方々が声を一つに、ゆっくりと静かにそして大きく早くと、知らずに高揚してくるのが解ります。そして再びの静寂と共に、正面に「南無妙法蓮華経」の紫の字を拝見した時は自然と涙がこぼれました。真っ暗の闇の中に一点の光明とは、まさしくこういう事なのだなと。「聖徒タイムズ567号の一面写真を参考に。」
二日目、大本堂では皆様が入堂された後に団旗観閲式がまず行われました。「金町信養寺」という旗、プラカードを持ち入場するのですが、甲子園の高校野球の開会式をご想像して頂ければご理解できます。
その後、祝辞等に続き、献燈、献華、献香、納経と続きます。中村さんご息女お二人は息もぴったりに大役を果たされました。全員でお題目をあげ参加者の代表が「誓いの言葉」を述べられました。
仙台のその方は、大変、苦しいとは一言も仰らずに有難うございます。守られています。頑張っています。と話されました。それはその場に集まっていた人々全員の気持ちでしたでしょう。何かに信心をする心、そして人間は一人では生きてゆけないという意味がこもっていました。普段、肌守りを身に着け、強いお力を感じてはいるのですが、その感謝を示す為に、全国から人が集まる姿というのは、その場に居ないと味わえないと思います。来年はぜひ皆様で、参加させて頂きたいものです。6月の東北団参旅行も、物見遊山ではなく、守られている。生きている。自分は一人ではない。という感謝の気持ちで伺いたいと思います。
平成24年吉日
片平美根子 記
東日本大震災の一日も早い復興を願いつつ  合掌

末法についての一考察 信養寺信徒 中村正弓

【仏教の時代概念】
お釈迦さまのご入滅後、千年の間はその教えが正しく伝えられる「正法(しょうぼう)」の世、続いての千年は像(かたち)だけが残る「像法(ぞうぼう)」の世となり、その後は人々の信仰が薄れ悪い教えが広まり、世の中が乱れてしまう「末法(まっぽう)」の世が一万年続くと言われています。

日本では、平安時代の後期(1052)に末法の世が始まったと考えられています。

【お釈迦さまの教え】
仏教はお釈迦さまの教えです。お釈迦さまは、およそ2,500年前のインド北部ヒマラヤ山脈の麓にある釈迦族の王子として生まれました。十九才の時、老・病・死の三つの苦しみを解決したいという思いから、出家し修行の道に入り、苦行の末に三十才にして悟りを開かれました。

それまでの修行僧は自分自身の救済を追い求めていましたが、お釈迦さまは、人は縁によってこの世に生まれ、生かされていること。そして、お互いに助け合い支えあっていること。を悟られたのです。

私たちは両親の元に生まれました。その両親にも両親がおり、10代さかのぼると1,024人の親(先祖)とよべる人がいます。もし、そのうちの一人でも存在しなければ、今の自分はこの世に生を受けることができなかったのです。あたりまえの事かもしれませんが、それも縁というものではないでしょうか。

お釈迦さまは、八十才でご入滅される50年の間に数多くの教えを残されました。最初に説かれたのは華厳経ですが、あまりにも難しく民衆には理解することができませんでした。そこで誰にでも理解できるように砕いて砕いて説法をされました。

次で阿含経、方等経、般若経と、その教えをレベルアップされ最後に説かれたお釈迦さまの本懐である、「法華経」(一部八巻二十八品69,384文字からなる)が集大成として完成されたのです。したがって法華経の中には爾前の経々(法華経以前のお経)が全て備わった最勝経王(さいしょうきょうおう・最も優れたお経の王様)といわれる所以なのです。

【日蓮大聖人】
日蓮聖人が生きた鎌倉時代は、末法の時代に入っていました。
このころの日本は、国中で争いが起き、自然災害や飢饉が発生し、暗い世相が続いていました。そのため、人々はこの世での幸せを求めることができず、来世に期待するようになりました。けがれたこの世を離れて阿弥陀如来の極楽浄土へ行き、生まれ変わろうという信仰が、人々の心をとらえるようになり、念仏「南無阿弥陀仏」が広まりました。末法の人々は仏の教えを何一つ理解できないから、浄土の教え以外は役に立たないという説です。

この説に疑問を感じられたのが「日蓮聖人」でした。日蓮聖人はあらゆる仏教の経典を読み、法華経こそが末法を生きる人々のために、お釈迦さまが残された最高の教えであり、法華経には「お釈迦さまは永遠に人々を救い続ける」と書かれていました。

日蓮聖人は、この法華経(南無妙法蓮華経)こそが、末法に生きる人々を救う道でありこれを日本国中に広める決意をされました。社会の安定と人々の幸せを「立正安国論」に記して、鎌倉幕府に進言しましたが、受け入れられず様々な妨害に遭いながらも、その生涯を法華経の布教に捧げました。

お釈迦さまご入滅後、二千年の後に東の小国に、法華経を広める者が現れ、この法華経を広める者は様々な妨害に遭う。と法華経に書かれています。日蓮聖人は佐渡へ流された時に、末法の世から人々を救う法華経を広めるのは自分であると自覚されました。

「南無妙法蓮華経」の南無とは、絶対の信を持ってこの教えの道を歩む。命をかけて法華経の信仰の道を歩む。と宣言することです。

「南無妙法蓮華経」の妙法蓮華経とは、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」に「釈尊の因行果徳の二法は、妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。・・」とあります。

お題目「南無妙法蓮華経」を唱えることで、お釈迦さまが覚られたこと・お釈迦さまの教え・お釈迦さまの智慧を得ることができる。ということなのです。

お題目は「法華経」のすべてを凝縮した含薬です。絶対信を以て心から「南無妙法蓮華経」と唱えることで、功徳を自然にいただくことができ、同時にお釈迦さまの智慧を授かり、末法の世を生きる道しるべが生まれてくるのだと思います。

【現代社会】

日蓮聖人が生きた鎌倉時代と現代の日本とでは、社会構成や人々の生活も比較にならないほど大きく様変わりしています。

鎌倉時代は、封建社会の中で著しい貧富の差が生まれ、多くの人々は苦しい生活を虐げられたため、神仏に救いを求め一心に信仰し、心のやすらぎを得ようとしたのだと思います。

現代の日本は、戦中・戦後・高度成長期・バブル経済と破綻・失われた10年と、約70年の間に目まぐるしい変化を経ながら、表面的には安定した豊かな社会になりました。

明日の食べ物に困るような人はほとんどいませんし、電気、ガス、水道などスイッチひとつでなんでもできる、快適で便利な生活があたりまえになっていました。今回の震災で計画停電が実施され、あたりまえだったことの「ありがたさ」を思い知らされた気がします。

豊かな社会になった半面、信仰心や道徳心といった気持ちが希薄になってしまったように感じます。また、競争社会の中で利己主義的な人が増え、自分さえよければ良いという人や他人と接する事を避け自分の殻に閉じこもり、心を貧しくしてしまう人が増えているのではないでしょうか。

周囲と関わりを持たないため、亡くなっても長い間発見されなかったり、親の死を隠しその年金を受け取ったり、しつけと称して子供を死なせてしまったり、考えられないような事件が毎日のように報道されています。

政界では国民そっちのけで権力争いに明け暮れ、取り調べの調書を書き換え、無実の人を犯人に仕立てあげる検察官が現れたり、日本人はどこか歯車が狂ってしまったのではないでしょうか。

そんな日本に大震災が起りました。安定した豊かな社会になった反面、信仰心や道徳心が欠如してしまったからなのでしょうか。

人は自分中心に物事を考えてしまうと悪に傾き、他人を思いやると善に傾くそうです。自己中心的な考えは、自分が正しい・偉いという気持ちが強くなり他人を大切にすることを忘れ、争いごとが絶えない社会になってしまったのだと思います。まさに「末法の世」を思わせる様相を呈しています。

この末法の世を生きるために、真に必要なものこそ「法華経」の教えだと思います。日本の人々が心をひとつ「異体同心」にして、この大災害を乗り越えて行かなければと思います。

お釈迦さまが残された最高の教えである法華経「南無妙法蓮華経」のお題目を一心に唱えることで、末法の世を生きることができるのではないでしょうか。

今回、末法について考える機会を与えていただき、自分自身の十年間を振り返ってみました。色々な場面で数多くの神秘・奇跡を体験してきたことを思い起こしました。自分や家族がピンチに陥った時など、「南無妙法蓮華経」のお題目を心の底から絶対信を持って唱えたことで、救われてきたと改めて実感しました。

今、与えられたこの世を生き抜くためには、「お題目」の偉大な力を信じることしかありません。

【体験談】

最後に私の体験を書かせていただきます。

職場の階段で足をすべらせ転落し入院。退院後も腰痛や足のしびれが治らず、自宅で療養をしていましたが、不眠が続き鬱病のような状態になり出社もできなくなってしまいました。小林上人にご相談し、指導を受けました。その結果、私は鬱病ではなく住んでいる土地の因縁からの障りによって苦しめられていることが分かりました。

小林上人のご指導のもと、土地の供養をさせていただき、ご祈祷をお願いしました。また、妻は私の回復を願って一心にお題目修行を始めてくれました。そのおかげで容態も回復し仕事に復帰し、翌年には日帰りで七面山にお参りができました。その後は鬱病のような症状もまったく無くなりました。

数年が経ち、妻が秋のお彼岸の中日にめまいに襲われ、階段から転落し救急車で病院へ運ばれました。左手首を骨折し、さらにめまいが数ヶ月続きました。小林上人にご相談したところ、病気ではなく霊障が原因でした。ご先祖さまの施餓鬼供養を行い、家族全員で回復を願って一心にお題目修行を始めたところ、四十九日が過ぎた時めまいがピタリと治りました。それ以来、妻のめまいが再発することはありません。

三人の娘たちも就職や縁談なども、ご指導を給わり一心に念じ、良い縁をいただくことができました。

「法華経の行者の祈りのかなわぬ事はあるべからず」という教えを信じて、これからも家族全員でお題目を唱え、日々精進してまいります。

合掌

平成23年8月吉日