日蓮大聖人報恩御会式

平成24年10月21日(日)快晴の中、信養寺の御会式が厳修されました。

信養寺に着き、綺麗にお掃除されている絨毯を踏みしめ多目的ホールの二階へと進むと、そこは一転お茶席となっておりました。


正面舞台には中村友美様がお点前をされ、手前に野点の朱傘が飾られ「無有懈倦」(法華経提婆達多品第十二の一説)中村茂様奉納の書、お花は秋明菊が飾られ、社中の皆様によるお茶の振る舞いが行われ、私たちもおすすめを頂き席に着きます。お菓子は紅葉金団、運ばれた薄茶は織部茶碗にたっぷりと点てられていて、大変美味しく頂戴いたしました。

そして「御会式繰り弁にみる日蓮大聖人一代記身延から池上入滅迄」と書いてあるパンフレットをいただき三階の本堂へと向かいます。
ご宝前には、三笠蓬莱先生作のしだれ桜を始め、生花、果物、紅白のお供え等が飾られていて、御会式の雰囲気がかもし出されていました。堂内では中村正弓様が太鼓の前に座られ奉仕され、唱題行が行われておりました。

午前11時より信養寺住職小林栄量上人ご導師のもと、矢田堀上人、高野光誠上人式衆にて日蓮大聖人第731遠忌報恩御会式が厳かに開式となりました。

道場偈、三宝礼、切散華と進み、花皿より五色の散華がひらひらと撒かれ、読経へと進む中、静かに中村宗和様がお濃茶を天目台に乗せて進まれ、高野上人に取り次いで住職の手で献茶され、式衆の両上人が銅鑼と鈸を打ち鳴らされ、しばし鳴動する。読経が続き報恩塔婆読み上げられ式も終わりへと近づく。

御会式終了後、信養寺前の集会所へと移り、稲葉隆一総代の先導のもと、皆合掌し、お題目を三唱し、ご用意いただいたお弁当を楽しく語らい乍ら美味しくいただく。食事を済まし再び本堂に戻る。

一時になり、住職から伊丹上人のご紹介と、ご法話を頂くことになった次第をご紹介と御挨拶がありました。

伊丹瑞栄上人は、大阪「雲雷寺」の住職をされ、日蓮宗専任布教師、聲明師、一級霊断師、全国日蓮宗青年会元委員長であり、そもそものご縁は、大学が一緒だったこと、その時、今日式衆を務めて下さる高野光誠上人のお父上の高野光祥上人ともご一緒で、それ以来三人は40年近くの親友であること、その高野光祥上人が、昨年9月にご遷下され、本当に驚いたこと、今年の9月には伊丹上人と共に佐世保の高野上人ご自坊に行かれ菩提を祈らせて頂いたこと、心残りであったであろう息子さんの光誠上人が今年荒行堂初行として入行なさるので無事成満を皆でお祈りしましょう。そして高野光祥上人が信養寺の御会式にずっと来て、ご法話頂けるという事になっていたのが、叶わなくなってしまったので親友である伊丹瑞栄上人が引き継いで下さったこと等をご紹介下さいました。

演台に立たれた伊丹上人は、信養寺さんとは、この所ご無沙汰致しておりましたが、ご紹介の通りで、お父様は小林文榮上人、お母様は豊子様で、東京におりました時には、大変お世話になりました。お姉様方にも良くして頂きました。

色々なことがありましたが、先程法要の中で欲令衆というお経が心に残りました。

欲令衆を聞いていて、私がまだ若かった頃、信養寺様ご一行の皆様とご一緒に七面山参拝に行った時の事を思い出しました。七面山を登っていくと、途中に水子地蔵様がお祀りしてある所や無縁様をお祀りしてある所があるのですが、そこでは特に小林文榮上人のもと沢山のお経をあげていただいたのを思い出します。と仰言って当時を思い出しているのかしばし無言になられた。聞いている私達も当時を思い出し、思わず涙がこぼれそうになりました。

先程小林上人からもお話しがありましたが、私も高野上人と仲が良く、昨年ご遷化された時は本当に驚きました。

お坊さんが亡くなると、遷化(せんげ)されたと言います。遷という字はよそに移るという意味を持ち、教化の場所を移す、化は教育化導(良いように相手を導く教えの場を終わって他の場所に移って行く)「遷化」とは、この世の教化を終えて他国土の教化に遷移する。高野上人も霊山において我々を見守っている事と思います。

今年から毎年法話をして下さることになりました伊丹上人の、時にユーモアを交え仏教の始まりから丁寧にお話し下さいました。
約一時間のご法話、皆一様に感激をし、檀信徒の皆様からも、今から待ち遠しいと口々に申されておりました。
来年は、日蓮大聖人の出現からのお話となってくるそうです。

伊丹上人有難うございました。

こうして、信養寺の日蓮大聖人報恩御会式が閉じられました。

記録 本多澄江・小林正子